人生、宇宙、すべての答え

人生、宇宙、すべての答え(wikipedia)

答えは42。なぜでしょう、どうしてなんでしょう?グーグル電卓でも、その答えは出てきます。

これの元ネタは、イギリスのスラップスティックSFでヨーロッパでは有名なんだそうです。作者は2001年に49歳でお亡くなりになっています。以下、シリーズ物のタイトル。全部で5冊。

  1. 「銀河ヒッチハイクガイド」
  2. 「宇宙の果てのレストラン」
  3. 「宇宙クリケット大戦争」
  4. 「さようなら、いままで魚をありがとう 」
  5. 「ほとんど無害」

日本でも翻訳されているので読んでみるといいかもしれません。宇宙船レッドドワーフ号のようなコメディタッチのノリなのでしょうか。

177KBのすごいメガデモ fr-041: debris、Breakpoint 2007

fr-041: debris.  by farbrausch (pouët.net)

fr-041: debris.ダウンロード (scene.org)

177kbの実行ファイルに7分ものリアルタイムムービーの内容が詰め込まれています。驚くべき事です。原理は恐らく、起動時にテンポラリとして、データファイルを作成しているのでしょう。簡単に思えて、この部分が一番難しい。zipやrarのような全圧縮とは違ったテクニックが必要だと思います。

このデモはwww.farbrausch.comのプロダクト、.werkkzeug1が使われているようです。これはデモ作成ツールキットと言われるもので、ある程度コーディングを自動化してくれるらしい。2chpartyの1位作品にも使われていたので、実力は中々のものでしょう。興味があれば試してみてください。

ちなみにうちの環境では、プログラマブルシェーダ2に未対応なため映像がぐちゃぐちゃでした。

SOLAR MODEL

SOLAR MODEL

Irrlichtの成果物。zlibライセンスでソースコードも入手できます。Irrlichtならではの描画速度で滑らかに再現される太陽系の運行をとくとご覧あれ。

操作方法はキーの1,2,3,4が公転時間調整機能(早送り)、メニューのCAMERAからFrom(観測者)、To(観測対象)設定、対象無しでW,A,S,Dとマウスにより自由移動(これは上手く動いてないような)

BorlandからCodeGearへ

今日、ボーランド社からのメールで知った事実。IED関連事業を分社化してCodeGearへ移管していた。調べたら去年の半ばには発表されていたらしい。Borland製品は使わなくなって久しいので、全くチェックせず。最近勢いが落ちたなと思ってたので、歓迎するニュースでした。

DevCo改めCodeGearの2006年10大ニュース(ボーランド(株)藤井 等氏のブログ)

私が学生の頃、MSのQuickCか、BorlandのTurboCを買うかで散々悩みました。悩んだ末、機能的に優れている(と思ってた)TurboCを購入したのでした。

購入当時のことを鮮明に覚えています。店頭で学割パックを見つけたとき、あいにく持ち合わせがありませんでした。仕方ないので、次回、買いに来ようと立ち去りました。すると、(あまり親しくない)友人がポンと万札を貸してくれたのです。もちろん遠慮したんですが、誘惑に駆られ購入。あのときはありがとう。すっかり名前を忘れて酷いやつだと思われそうですが。

思い出話は程ほどに、少し気になったのでBorlandについて調べてみました。そこには驚きの事実がありましたよ。特に創始者のことです!日本で毎日見かけるのに、彼の名前を知っている人は恐らく一握りの技術者だけ。

まずは、Borlandの沿革を見ていきましょう。

ボーランド(Wikipedia)

一時期、個人向けIDE部門に注力して革新的な統合環境Delphiをリリースしながらも後に衰退。マイクロソフトの姑息なヘッドハントで主要開発陣を持っていかれたのが原因の1つです。現在の.NETのGUIエディタは、初期Delphiデザイナー達の成果によるところが大きいでしょう。この移籍騒動がRADツールの普及を助けたのか、混迷の時代に誘ったのかは、判断がつきかねます。

では、最初に戻って創始者を見てみましょう。

フィリップ・カーン(wikipedia)

フランス系数学教師にしてアメリカ在住の実業家フィリップ・カーン氏です。MSの攻撃に耐え今でも健在なBorlandを始め、次々と斬新な事業を立ち上げていきました(残念な事に、経営方針の相違から、Borland社を1996年に離れてしまっています)

彼は、驚くべき事に、あの「カメラ付き携帯電話の発明者」だったのです!

カメラ付き携帯電話

日本人なら誰でも知っている生活必需品ですよね?私はてっきりJ-Phone(現Softbank)が立案者だと思っていました。J-Phoneは、「彼のアイディアを世界ではじめて商品化したキャリア(Sharpと共同)」という位置付けです。J-Phoneは、この製品群で一気に業界2位にまで伸し上がりました。それだけ斬新で人々が望んでいた発明だったのです。

まさか、慣れ親しんだ統合環境の配給元のトップがカメラ付き携帯の父だったとは…。彼は今度は生命科学とワイヤレス技術の統合を目指しているようです。なにやらワクワクしてくるお人です。